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シナリオ「スワンボート」
             村田席亭

〈人 物〉
瀬山舞子(41)花屋店員
西澤伴彦(38)マジシャン


◯公園・池・全景
   絶え間ない蝉の声。池の水面が日光を
   反射して輝いている。点在している手
   漕ぎボートやスワンボート。一艘のス
   ワンボートが池の中央へ向かっている。

◯同・同・スワンボート・内
   絶え間ない蝉の声。スワンボートの座
   席の中央に座ってペダルを漕いでいる
   瀬山舞子(41)。白いワンピースを着て
   麦わら帽子をかぶっている。
   ハンドルを握っている舞子の両手。右
   手の薬指にだけ指輪をしている。左手
   に指輪はない。
   微風が吹き、舞子の髪の毛がなびく。
   舞子の頬をつたう汗。
   舞子、ペダルを漕ぐ足をとめ、足元の
   ハンドバッグに右手を伸ばす。青いハ
   ンドタオルを取り出し、汗を拭く。

◯空・全景
   太陽を背にして落ちてくる西澤伴彦(38)。
   燕尾服を着ている。

◯公園・池・スワンボート・外
   絶え間ない蝉の声。スワンボートの座
   席の中央に座っている舞子、左手で右
   手の薬指の指輪をはずす。指輪を見つ
   める。目をつぶって深呼吸を一回。目
   をあける。顔をスワンボートの左舷側
   に向ける。指輪をスワンボートの左舷
   側に投げる。指輪が水に落ちる音。西
   澤、スワンボートの右舷側に落ちてく
   る。

◯同・同・水中
   水深10メートル。
   落下の勢いのまま沈む西澤。もがきな
   がら水面に向かう。

◯同・同・スワンボート・内
   左右に揺れているスワンボートの座席
   の中央に座っている舞子、不安そうな
   表情で波紋の中心を見つめている。
   もがきながら水面に顔を出す西澤。
西澤「助けて!」
舞子「ちょっとまって!」
   舞子、座席の右舷側に移動する。
西澤の声「助けて!」

◯同・同・同・外
   西澤、水面に顔を出してもがいている。
西澤「助けて!」
   舞子、スワンボートの右舷側の支柱を
   左手で握り、スワンボートから上半身
   を出している。右手を西澤に伸ばす。
舞子「つかんで!、ほら!」
   西澤、腕を伸ばして舞子の右手を両手
   でつかむ。舞子、西澤の手を引く。突
   風が吹く。舞子の麦わら帽子が飛ぶ。
   舞子、反射的に左手を伸ばし、麦わら
   帽子のつばをつかむ。
舞子「あ」
   舞子、目を見開き、左手で麦わら帽子
   のつばをつかんだまま水に落ちる。

◯同・同・全景
   絶え間ない蝉の声。池の水面が日光を
   反射して輝いている。点在している手
   漕ぎボートやスワンボート。池の中央
   に一艘のスワンボートがとまっている。

◯同・同・スワンボート・内
   絶え間ない蝉の声。スワンボートの左
   舷側に舞子、右舷側に西澤が座ってい
   る。ふたりとも全身びしょ濡れ。舞子、
   足元のハンドバッグに右手をいれてい
   る。
   舞子、西澤に縁がレースの白いハンカ
   チを差し出す。
舞子「拭いたら?」
西澤「ありがとうございます」
   西澤、ハンカチを受けとり、広げて顔
   を拭きはじめる。
   舞子、青いハンドタオルで顔を拭き、
   顔を前に向ける。
舞子「……ねえ、鳥葬って知ってる?」
   舞子、ペダルを漕ぎはじめる。
西澤「あの……、あれですよね」
   西澤、ハンカチを腿に置き、顔を前に
   向ける。
西澤「亡くなった人を鳥に食べさせる」
   西澤、ペダルを漕ぎはじめる。
舞子「そう。鳥に食べてもらって亡くなった
 かたを自然に返す儀式」
西澤「なんかあれですね、なんか、鳥のなか
 に人がはいってるっていうのであれを思い
 出しました、ヨナの話」
舞子「ヨナってあれよね、海で大きい魚に飲
 まれて陸まで運ばれたっていう」
西澤「そうです、だから人を運んでいくのが
 鳥か魚かってだけの違いなんです」
舞子「その大きい魚ってさ、海を泳いだだけ
 だと思う?」
西澤「違うんですか?」
舞子「いったん海の深ーいところまで潜って
 からさ、勢いをつけて、一気に海から飛び
 出したんじゃないかしら」
西澤「一気に飛び出す」
舞子「で、その勢いで飛んでったんじゃない
 かなあって思って。大きい鳥になってさ、
 空を」
西澤「えっ、魚が鳥になっちゃうんですか?」
舞子「なったっていいでしょ。『荘子』にだ
 ってそういう話があるんだし」
西澤「そういえば。てことはやっぱりあれな
 んですか?、けっこう高く飛んだりして」
舞子「そりゃあけっこうなんてもんじゃない
 よね」
西澤「やっぱり」
舞子「あっというまに大気圏も越えちゃって
 さ、はばたくたびに地球がどんどん遠ざか
 る、って感じでしょ」
西澤「そうとう高いところまで飛ぶんですね」
舞子「それはまあ、大きい鳥だからね。飛ぶ
 よね」
西澤「だけどあの、どうやって魚が鳥になる
 んですか?」
舞子「あー、そうねえ。もともと持ってた鳥
 の資質を全開にする、ってことでどう?」
西澤「それなら魚も鳥になっちゃいますね」
舞子「でしょう。でさ、私たちさ、いま鳥の
 なかにいるじゃない」
西澤「いますね」
舞子「だからさ、もしかしたら私たちもさ、
 いままでとは違うところに運ばれちゃった
 りするのかな、みたいな」
西澤「もう運ばれてるんじゃないですか、鳥
 のなかにいるわけですし」
舞子「あー。なんかいま、自然に返りつつあ
 る人の気持ちってこういう気持ちなのかも、
 って急に思った」
   西澤に顔を向ける舞子。西澤、舞子に
   顔を向ける。見つめあう舞子と西澤。
   西澤、右手でハンカチの端を握り、ひ
   と振りする。ハンカチが消える。舞子、
   目を丸くする。西澤、握っている右手
   を緩める。親指と人差し指のあいだか
   ら白い鳩が顔を出す。西澤、右手をひ
   らく。鳩がはばたく。舞子、嫌そうな
   表情で身をそらす。鳩、舞子の顔すれ
   すれを通って空へ飛んでゆく。
舞子「なんで?」
西澤「俺、マジシャンなんです」
舞子「えっ、ハンカチは?」
西澤「鳩になって飛んでっちゃいました」
舞子「うそ……」
西澤「あ、戻ってきました」
舞子「えっ、どこ?」
   舞子、あたりを見まわす。
西澤「ほら」
   西澤、スワンボートの進行方向を指さ
   す。舞子、西澤が指さしているほうに
   顔を向け、目を細める。
舞子「どこよ」
西澤「ほら!、来ました!」
   西澤、スワンボートの外に右手を伸ば
   し、なにかをつかむ。舞子にむけて右
   手をひらく。手のひらに乾いてたたま
   れている縁がレースの白いハンカチ。
舞子「だからなんでよ」
西澤「俺、マジシャンなんで」
舞子「ちゃんとこたえて」
西澤「……」
舞子「なんで?」
西澤「イリュージョン……」
   舞子、けわしい表情になる。
舞子「もっかい落とすよ」
西澤「もう落ちてます」
舞子「ん?」
西澤「恋に」
舞子「やだこの人」
   舞子、顔をスワンボートの左舷側に向
   ける。

◯同・同・同・外
   スワンボートの左舷側に舞子、右舷側
   に西澤が座ってペダルを漕いでいる。
   ふたりとも全身びしょ濡れ。舞子、ス
   ワンボートの左舷側に顔を向けて笑み
   をこらえている。

◯同・同・全景
   絶え間ない蝉の声。池の水面が日光を
   反射して輝いている。点在している手
   漕ぎボートやスワンボート。一艘のス
   ワンボートが桟橋に向かっている。

         (作・2019年8月17日)


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